今に残る戦争遺跡

防護巡洋艦「秋津州」の大砲を祀る神社(牧ノ原地頭方鎮霊神社)

 地頭方鎮霊神社はこの地で戦争で亡くなられた方の慰霊碑がある。表忠塔を日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦に参加した防護巡洋艦「秋津州」の大砲にしている。

渋川の凱旋門

 凱旋門といえば戦争中に頑張った兵隊さんを迎える門である。太平洋戦後日本軍が悪いという教育を受けていた人たちは、悪い日本軍の兵隊を迎える門などけしからんということで各地の凱旋門はなくなった。渋川の凱旋門は太平洋戦争とは関係ない日露戦争の凱旋門なのに取りつぶされそうになった。だがこの凱旋門は明治期に地元の人たちが大変な出費をして作った物である。日露戦争は大国に日本が勝ったことでアジアの植民地の人々に希望を与えた戦争である。悪く言われる筋合いはないのだ。結果渋川の凱旋門は地元の人たちの希望により取りつぶしは免れた。

現代に残る要塞、猿島(横須賀)

 現代の横須賀は日米の軍事基地であるが、幕末から太平洋戦争に掛けては、日本軍の軍事施設であった。その流れは現代も引き継ぎ、実はあやしい秘密施設がある。現代の施設には入れないが、幕末から太平洋戦争に掛けて活躍した秘密の島、猿島の要塞にはフェリーが出ていて自由に見学が出来る。
 猿島要塞は岩盤を削って岩の中に秘密基地を作った。いわばサンダーバード秘密基地の元祖である。日本人はどうも岩を削ってその中に基地を作る習性がある。松代大本営しかり、硫黄島しかり。その秘密基地という発想は、我々は幼年期からすり込まれていた。日本人なら小さい頃必ずどこかに秘密基地をつくったはずである。だから、猿島のような秘密の要塞にはわくわくするのだろう。余談だが、黒部ダムのトンネルも日本人だから作れたのである。映画「黒部の太陽」観るべし!