1970年に恵那峡ランドとしてオープンしたが2000年に閉鎖。遊具の老朽化によりどうにもこうにもならなくなったが、遊具の製作・販売・再生などを行う会社が再生に乗り出し、古い遊具の修理や各地の遊園地から払い下げられた遊具を利用して、2002年に恵那峡ワンダーランドとして再オープンした。現在では昔ながらの遊具を使用しているレトロな遊園地として無理矢理感も無くはないが人気も無くはない感じのようだ。
三保の松原と言えばその昔、裸の大将放浪記で「ヨメ子は天女になったので」のヨメ子が死んでしまう回の舞台になったところだ。天女というのは羽衣の松の伝説の由来である。現在その羽衣の松は切られてしまって無残な姿をさらしている。なぜか世界遺産に決まってから切ることが決まった。危ないと言うことらしい。近くには昭和19年9月に開隊された清水海軍航空隊の跡がある。駿河湾を背に「甲飛予科練之像」が凛々しく立っている。その前には明治45年に建てられた清水灯台がある。
三ヶ根山の麓、山麓園は昭和の高度成長期、テレビCMをするほど大人気だった。広大な敷地に野趣あふれる小屋で炭焼きのジンギスカンを食べるのだ。売店では藍染め体験コーナーなどもあり結構楽しかった。小さなロープウェイもあったらしい。駐車場からの通路にご主人の趣味と思われる明治大正昭和の時計やら道具やらが山積みになっていた。現在では売店や時計やらの道具は無くなり綺麗になっていて新しい家が建っている。想像するに創業者が亡くなって子供やら孫やらが自宅として家を建てたと思われる。 近くに、形原温泉ラドン健康センターがあり、若い頃仕事でお世話になったが、久しぶりに行ってみたらこんな事になっていた。世の中知らないうちに無くなってしまうものがいっぱいあるのだ。
近代日本の造船技術の先駆者で、明治期に磐田原台地に茶園を開拓した海軍中将男爵赤松則良の邸宅跡です。明治20年代に建てられた門・塀・土蔵は県・市の指定文化財となっています。敷地内には庭園と旧赤松家記念館があり、記念館では旧赤松家ゆかりの文化財や寄贈資料等を展示しています。
マグロが美味しいことで有名な三崎は、なつかしい昭和の街並みが残っていて居心地がいい。ゲームの「トロと休日」に出てくるスナックのママに会おうとする不純な動機で訪れたのだが店は潰れていた。スナックひかりのママに会えなかったので、さくらやのエプロンのお姉さんがいるか調べたが別人だった。 「トロと休日」の舞台の街並みを歩いてみた。
浜松には昔近藤紡という大きな紡績工場があった。スズキ自動車やトヨタ自動車も、元は織物工場だ。今はもう織物は衰退していて、近藤紡の跡地には、ゴルフ練習場や大手スーパーになっている。そこから森の石松が闇討ちされた場所に向かう道が笠井街道だ。このあたりは今でも当時の面影が残っている。