昭和の高度成長期にはそこそこの観光地で会った。おみやげも屋のらしき建物も廃墟になっている。今は訪れる人がほとんどいないので荒れ放題である。最近ではハイキングコースとなっている。近くに鍾乳洞がある。
神様に会いたくなり石巻山を登る。石巻山は古代の祭祀場であり伊勢神宮から富士山へ望む古代太陽の道の1つであるという仮説を立てている人もいる。麓から山頂まではそれぼど距離はない。しかし山頂付近は岩を上らなくてはならないのでちょっときつい。年寄りや子供には厳しいかも知れない。と思いながら山頂へ着くと年寄りと子供がいた。
古代高天原から神様が降りてくるところが磐座である。実際には測量を行う場所である。現在のような暦のない古代、太陽の運行により時を知ることは何よりも大切であり、しかも稲作と関連が深い。具体的に言えば、ある一つの山を基点として、春、太陽が真東から出て真西へ沈む日を春分の日と定める。この日から数えて50~60日後に種まきを始める。 半年たち、秋、再び太陽が真東から出て真西へ沈む日を秋分の日と定める。この日から数えて40~50日後に収穫を始める。太陽が東北東30度から出て西北西30度へ沈む、勢いの一番盛んな日を夏至と定める。ただ夏至の日は梅雨時なので実際見えない日も多い。 太陽が東南東30度から出て西南西30度へ沈む勢いの一番衰えた日を冬至と定める。だが、太陽は日の出と共に再び蘇っていく。つまり死から再生への日として冬至=新年の祭祀が行われた。他に立春、立夏、立秋、立冬がある。 粟ヶ岳にはその磐座と測量を行った場所(祭祀場)が残っている。その山を登ってみた。