Z旗とは、日本が国難に立ち向かうときに掲げる旗である。日露戦争時、もう後がない日本がロシアのバルチック艦隊と雌雄を決するとき、戦艦三笠がZ旗を掲げ、見事バルチック艦隊を撃破した。その戦艦三笠が、進駐軍の魔の手から逃れ現在も生きながらえている。 現物はとても大きいので、これなら今でも米国に勝てるんじゃないかと知人に言ったら、蒸気艦が原子力艦に勝てると思う?と相手にされなかった。なるほど。 Z旗は、太平洋戦争時、これも後が無くなった日本が真珠湾攻撃を仕掛けたときに掲げた由緒ある旗である。
昭和の大スター鶴田浩二は今はやりの経歴詐称疑惑で叩かれていたことがある。いわゆる特攻隊の生き残り、特攻崩れ詐称である。梶原一騎原作の空手バカ一代では大山倍達も特攻崩れとなっているが、当時はそれが流行だったのだろう。鶴田浩二は戦前、春野町の赤岡に疎開しており、出征の際、この地の赤岡神社で母親と共に武運長久のお参りをした。その後偵察機の練習を行う大井海軍航空隊に所属し整備兵となった。戦局が悪化し、戦友がこの練習機でレイテ沖やフィリピンに特攻兵として出撃することになる。なので心情的には特攻兵と同じである。戦後しばらくして鶴田浩二と母親はこの地を訪れ、無事に戻ってこれた御礼に鳥居をつくる資金を奉納して、現在の鳥居がある。
大井海軍航空隊は偵察機のパイロット養成所として設立されたが、戦局が悪くなり全員特攻要員となる。とはいえ零戦のような優秀な戦闘機ではなく白菊という練習機での特攻である。特攻は志願というのが建前だったが実は航空隊をそのまま特攻隊としてしまったのである。サギのような話である。なにしろ偵察機の練習をしにきたら特攻隊となって追突の訓練をするのだ。練習機で。はなしが違うと文句を言えば「海軍魂注入棒」でぶっとばされたであろう。
渥美半島の伊良湖神社入口付近には昭和14年に制作された「小久保幸一郎くんの像」がある。その像の周りを清掃していたご夫婦によると旦那さんのおじさんとのこと。台座には南京攻略に成功した愛知県出身の松井石根大将書の「忠烈」の文字がある。小久保幸一郎さんと松井大将が面識があったかどうかはわからない。松井大将は昭和13年に帰国して日中の犠牲者の供養をしていた。この像は小久保さんと同じ隊だった岡崎の石屋さん達が協力して造ってくれたそうだ。 松井大将は戦後部下が南京で行った不正行為の責任をとって処刑された。シンガポール陥落の山下大将も戦後部下の捕虜に対するリンチ等の責任をとって処刑されている。