産業遺跡今昔(鉄道編)

日本縦断を夢見た光明電気鉄道跡を巡る

 光明電気鉄道は昭和5年から11年までのわずか6年の短命に終わった。磐田市中泉から天竜市二俣を走っていた。計画としては天竜川東岸を通り飯田線に接続連絡し、遠州と信州を結ぶ中部縦断鉄道という遠大な計画だった。廃線からすでに70年も経っているが現在でも路線の一部を天竜浜名湖鉄道が受け継ぎ、一部その名残が、浜松市天竜区二俣町に残っている。小学生の時に光明電鉄を利用していたという、二俣町栄林寺前住職の弟さんに光明電鉄跡を案内していただいた。
 当時、電車がホームに着く途中で飛び降りていたという、今では考えられないのんびりした電車だったらしい。私が「この電車は佐久間まで行く予定だったんでしょうね。」とあやふやな知識で尋ねると、「とんでもない。長野県を経て日本縦断の大鉄道の予定だったんだ。」と当時子供心にも郷土の誇りとしての鉄道という意識がはっきりと伝わった。「今の天浜線よりも赤字だったんだから廃線もしかたがない。」と話していた。

SL墓場(島田市金谷)

 SLが走っている大井川鉄道の新金谷駅引き込み線の端に野ざらしで朽ち果てた蒸気機関車がある。部品取りかも知れないが、雨ざらしでどんどん錆びてしまっている。だれも手入れをしないのだろうか。
 SLといえば他の地域ではめずらしいと思うのだが、この地域では当たり前でみんなそんなに興味が無いようだ。休日に見に行ったのだが誰もいなかった。こんなぼろいのは見てもしょうが無いか?せめて草を刈って全塗装すればいいオブジェになると思うが。そのうち部品取りにもならなくなるなぁ。
 これらの車両も大勢の人々の役にたっていた輝かしい過去があったはず。安らかなご冥福を祈りたい。