日中戦争により下半身麻痺などになった傷痍軍人さんのための施設が箱根療養所です。当初は施設内に温泉を引いてありました。戦後は一般の患者さんも受け入れ、また、傷痍軍人さんの家族も一緒に暮らせる療養所となりました。 現在この建物は使われていませんが隣接した国立箱根病院がその精神を受け継いでいます。昭和40年代ぐらいまでは街頭や地下道などで傷痍軍人さんをよく見かけました。子どもの頃、松菱百貨店の地下道で白い服装で片足のない方がアコーディオンを弾いて、両足のない方が座っていました。母からお金を貰って募金箱に入れたのですが、子どもの頃は彼らは身体が悪いので働けなくてお金に困ってるんだろうななどと失礼なことを思ったものですが、今思うとしっかりと正装して本当の戦争の姿を私たちに残そうとする彼らの戦いだったのです。 2013年に日本傷痍軍人会は解散しました。以下は、その年の日本傷痍軍人会最後の式典に出席した天皇陛下のおことばです。 「戦傷病者特別援護法制定50周年並びに財団法人日本傷痍軍人会創立60周年の記念式典が行われるに当たり全国から集まられた皆さんと一堂に会することを誠に感慨深く思います。 昭和20年の終戦以来68年の歳月がたちました。国のために尽くし戦火に傷つきあるいは病に冒された戦傷病者の皆さんが歩んできた道のりには計り知れない苦労があったことと察しています。そのような中,皆さんが互いにまた、家族と手を携えつつ幾多の困難を乗り越え今日の我が国の安寧と繁栄を築く上に貢献してこられたことを深くねぎらいたく思います。戦傷病者とその家族が歩んできた歴史が決して忘れられることなく皆さんの平和を願う思いと共に将来に語り継がれていくよう切に希望してやみません。 この機会に戦傷病者と苦楽を共にし援護のため、たゆみなく努力を続けてきた家族を始めとする関係者に対し、深く感謝の意を表します。 終わりに当たり、高齢の皆さんがくれぐれも体を大切にし共に励まし助け合って今後とも元気に過ごされることを願い、式典に寄せる言葉といたします。」
日中戦争時、乗馬による機動力を発揮したのが騎兵第4旅団で、終戦間際、日本軍で唯一残った乗馬部隊だ。そこに属していたのが豊橋の騎兵第26連隊だ。その活躍は目覚ましく戦闘回数は230回に及ぶ。最後の戦いは昭和20年3月の老河口作戦(ろうかこうさくせん)。本土空襲を阻止するための老河口飛行場の占拠に成功し、終戦まで持ちこたえた。その騎兵第26連隊の門や立哨小屋が豊橋の王ケ崎東公園に残されている。 騎兵第26連隊の兵隊さんが日本に連れて帰ることが出来なかった隊の愛馬達のたてがみと、密かに持ち帰った軍旗の灰がここに祀られている。部隊が中国を去るとき、馬は連れていけないので中国の方に預けていくのだが、馬が涙を流しながらあとをついてきたそうだ。兵隊さんも泣きながら馬を叩いて追い返した。馬も戦友なのだ。
日露戦争から太平洋戦争までの郷土ゆかりの軍人さんの遺品を展示公開しているのが、靜岡護国神社である。あの軍神、橘中佐からの手紙もある。